銀行店舗・事務所・社宅等の電気工事等の施工は日本電力工業 株式会社-会社の歴史

会社の歴史

HISTORY

ホーム会社案内会社の歴史

歴代社長

CEO

嶋田 兼吉
初代社長 嶋田 兼吉
(1947~1961)
松本 実郎
2代社長 松本 実郎
(1961~1971)
荻島 健晃
3代社長 荻島 健晃
(1971~2002)
板山 昭博
4代社長 板山 昭博
(2002~2008)
丹野 敏孝
5代社長 丹野 敏孝
(2008~現在に至る)

沿革

HISTRY

1947年(昭和22年)~

弊社は昭和22年(1947年)8月14に創立者嶋田兼吉氏が玉川線の電車架線等の布設工事等に従事していたが、その後世田谷区弦巻の関東配電に入社、会社が東京電力と名称を改める折に退社し、それまでの友人、仲間と共に東京電力より大きく日本電力としたいと思ったが他に日本電力と云う会社があった為、後ろに工業をつけて日本電力工業とし、工事の仲間数名を集め、台東区下谷にて仕事を始めた。
当時戦災で損傷した建物も多く、それに新築も手掛けていた。

1947年(昭和22年)~

1948年(昭和23年)~

昭和23年 知人である日本銀行職員の紹介で日本銀行の社宅の修理、特に当時はコンセントが無く、二股ソケットから電源をとっていた時代、400軒以上の社宅の工事、改修を請負わせてもらい、それと共に鉄筋コンクリートの4階建ての寮の電気工事も発注され仕事が多忙になった。
同、昭和23年 事務所を有楽町の三菱仲2号館に移し、銀行社宅に向いている若手として、嶋田社長の義弟松本実郎氏とその友人(当時東京鉄道局東中野変電区電気係)3人を入社させ、他に東京電機学校出の多田、佐藤両氏等にて新体制にした。

1948年(昭和23年)~

1950年(昭和25年)~

昭和25年 工学院高校電気科卒の荻島健晃氏、中国配電から移動した平松格久氏が加わった。
同、昭和25年 日本銀行は保養所にも力を入れ富士五湖山中湖畔の旭ヶ丘の5棟を改修、続いて箱根棟にも設備を増やし、その電気工事も受注した。
日本橋に協和銀行の支店があり、その中に荒井、大阪の両建築設計事務所があり、その建築の電気設計を請けると共に、協和銀行の社宅の電気工事を、池尻の木造6棟の改修電気工事から受注し始め、中野、大田各区と増加した諸工事は各責任者に任せ嶋田社長は社員への旅行等の楽しみに力を入れた。

1950年(昭和25年)~

1952年(昭和27年)~

昭和27年 1泊で群馬県法師温泉に出かけた。その後、社内旅行毎年泊りがけで続けた。
当時照明は白熱電球で天井から吊るしてあったが蛍光灯が使い始められ、日本銀行本店、協和銀行、続いて日本開発銀行、東京銀行、日本輸出入銀行、中小企業金融公庫、商工組合中央金庫、日本長期信用銀行と紹介等で電気工事を増やしていった。
銀行以外では、東京都から学芸大学その他の設備工事も受注、他にも入札競争をした。

1952年(昭和27年)~

1955年(昭和30年)~

昭和30年 銀行以外で渋谷方面の一般マンション建設の電気工事を受注、安藤建設、大和建設その他などの下請けで電気工事をやった。
昭和36年5月 嶋田社長が勇退し会長になり、松本実郎氏が社長に就任。
高度成長期により鉄筋建築4階建ての建物が多量にでき、電気工事もますます多くなった。
昭和39年10月 大手町ビルに移転。
昭和43年10月 会長嶋田氏を始め、平松氏、荻島氏、小林氏、上島氏等で富士山登頂。

1955年(昭和30年)~

1970年(昭和45年)~

昭和45年 日本ビル4階に移転。

1970年(昭和45年)~

1971年(昭和46年)~

昭和46年12月 松本実郎氏が社長辞任退社。荻島健晃氏が社長に就任、副社長多田善次郎氏、専務平松格久氏にて発足。
年商1億が年々増加、新築が多く15億くらいまで増加。会長嶋田氏は船による釣り、奥多摩の鱒釣りなど数十回連れて行ってくれた。
昭和47年 協和銀行営繕課長に池上氏が赴任、協和銀行、長期信用銀行と野球試合を開催、平松氏、荻島氏のバッテリーで盛り上げた。

1977年(昭和52年)~

昭和52年 日本開発銀行行友会館を六本木に建設に伴い電気工事を受注した。
会社旅行で黒部アルペンルートに出かけて水力発電所を見学。
協和銀行の奥武蔵ゴルフコース、日本長期信用銀行の北武蔵ゴルフなどゴルフブームと共に仕事もますます多忙になった。
昭和60年5月 後、5代目社長となる丹野敏孝氏入社。

1987年(昭和62年)~

昭和62年 会社創立40周年日本閣にて記念式典。
その年の旅行で尾瀬に出かけたのが会長の最後の旅行となった。
平成元年11月 創立者嶋田兼吉氏死去。
平成2年 会社初の海外旅行として香港に行く。
10月 多田善次郎副社長死去。
平松常務が副社長に就任。
平成3年6月 池田裕次氏入社。
平成5年6月 中村秀世氏入社。

1987年(昭和62年)~
創立40周年記念式典
創立40周年記念式典

1997年(平成9年)~

平成9年 会社創立50周年。
10月 次期社長候補として板山氏を考え、補佐として丹野氏、中村氏数名を北海道4日間の旅行に同行、次期社長候補の選定に考慮した。

1997年(平成9年)~
創立50周年記念式典
創立50周年記念式典

2002年(平成14年)~

平成14年4月 荻島健晃社長退任。板山昭博氏就任。
平成15年6月 日本ビルより内神田大手町21ビルに移転。
平成19年 会社創立60周年。
平成20年6月 板山昭博社長退任。丹野敏孝氏就任。
平成22年11月 浅草橋に移転。

2011年(平成23年)~

平成23年 東日本大震災・福島原発事故により、電力不足になりLEDが全国的普及し数年に渡り照明設備更新工事として、りそな銀行、三菱東京UFJ銀行においては、多くの工事を請け負った。
平成24年 東日本大震災を受けて、ビルの耐震工事や建て替えなども増え、移転による工事も請け負うようになる。
平成26年 スマートフォン及びタブレット端末が急激に普及し、銀行店舗も次世代型店舗へと改修工事の仕事も増える。
平成29年8月 創立70年を迎えた。(2017)
令和4年8月 創立75年。技術・サービスを確実に提供し、創立100年に向けて邁進する四半世紀に。

内神田大手町21ビル
内神田大手町21ビル
浅草橋(現事業所)
浅草橋(現事業所)

お気軽にお問合せください。

03-5829-8461

受付時間: 9:00~17:00

メールフォームからの
お問い合わせはこちら